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今回お話を聞かせていただいたのは、㈱エスプラス代表の辻さちえさんです。一緒にお仕事をした人達が「さちえさんのひまわりのような笑顔を見ると、魔法にかかったように仕事が楽しくなる」と口を揃える辻さんの強さと優しさは、どのように培われたのでしょうか。波乱万丈のインタビューをお楽しみください。(インタビュー日 2016年9月下旬)

1. プロフィール

(ア) 氏名: 辻 さちえ
(イ) 所属: ㈱エスプラス 代表
(ウ) 合格年度、当時の年齢: 1995年、23歳
(エ) 略歴:1996年10月、監査法人トーマツ(現有限責任監査法人トーマツ)大阪事務所入所。99年に名古屋事務所へ異動。計9年間、法定監査業務に携わる。
2005年より東京事務所のアドバイザリー部門に異動し、10年に渡りコンサルティング業務に従事。
2015年7月、独立して㈱エスプラスを設立。2009年に出産、一児の母。

2.公認会計士を目指したのはいつで、なぜでしたか?会計士になりトーマツに就職するまでの経緯を教えてください。

私は、大学受験で大きな挫折を味わいました。憧れていた第一希望の大学に合格できなかったのです。希望を果たせなかった悔いが残り、そのパワーを何かに使いたいという思いを抱えて大学生になりました。その思いが最初に向いたのは、高校時代にもやっていた陸上競技です。体育会系の陸上部での練習に明け暮れました。大学3年生になってからは、公認会計士の勉強を始めました。

公認会計士試験を選んだ理由は、経済系で一番難しい試験だったからです。ここでもパワーを使いたかったのですね(笑)。受験生時代は、なりふり構わず一目散に勉強し、専門学校で有名人になってしまうほどでした。スマートに勉強するほうが良いという風潮がある中、私は「一日も早く合格してスタートラインに立ち、働きたい」と思っていました。ですから、一切の雑音を遮断して、一心不乱に勉強しました。その甲斐あって、大学4年生で在学中合格を果たすことができました。

ところが、それほど働きたい思いが強かった私を、第二の挫折が待っていました。合格してから1年間、就職できなかったのです。当時、会計士業界は人余りの状態だったので、学生は合格しても採用してもらえませんでした。補修所の講義も、実務に就いていないためなかなか理解できず、辛い思いをしました。1年後に就職した時には、「これで働ける!」と飛び上がるほど嬉しかったです。

当時は1年間働けなかったことを挫折と捉えていましたが、「仕事があるというのはありがたいことだ」という謙虚な考えが自然に身についたので、後々考えれば悪いことばかりではありませんでした。また、この1年間は、カナダとニュージーランドに1か月ずつ短期留学をするなど、それはそれで充実した毎日を送ることが出来ました。

3.監査法人で、監査に9年間携わっていらっしゃいます。どのようなクライアントを担当されていて、監査の仕事のどこに面白さを感じていましたか?

大阪では電力会社をはじめとする大規模な企業を担当することが多かったので、そこで「大組織とはどのようなものか」を学ぶことが出来ました。今自分が見ている組織の動きが、どのように組織の他の動きと影響しあっているのかを把握し、理解すること自体がとても面白いと感じました。いくつもの歯車の動きがかみ合って、最後に作成されるのが財務諸表なのだと実感しました。

また、このような大規模クライアントは、監査人として自分がしたい手続の意味を俯瞰して考え、かつ伝えなければ、クライアント側もなかなか動いてはくれません。ですから、組織全体を見渡したうえで、相手に伝わるようにお願いをする方法も、クライアントと関わりの中で徐々に習得することができました。

名古屋事務所に異動してからは、鉄道会社など、大規模クライアントから家族経営の小規模会社まで、様々な規模・業種を担当しました。名古屋に異動する頃シニアスタッフに昇格し、仕事を任されることが増えました。やりがいもあり、仕事に夢中になって深夜まで働く毎日でした。

4.2005年に東京のアドバイザリー部門に異動されています。きっかけとなったのはどのようなことですか?

名古屋に異動した理由は一度目の結婚だったのですが、その結婚生活が破たんし、名古屋にいる理由がなくなりました。これからは仕事に生きるしかないと思い、大阪に戻るのではなく、東京に異動希望を出したのがアドバイザリー部門への異動のきっかけです。

会計士の仕事は、女性への差別はありません。その反面、ブレーキがかからない傾向が強いです。私は仕事が好きでしたし、引き受けた仕事は完璧にこなすのが当然だと考えていました。当時、監査現場は忙しく、私は「自分の代わりはいない、ぎりぎりまで働くしか選択肢はない」と思い込んでいました。
しかし、元夫は、「組織とは人がいなくても回るものだから、昼夜を問わず働くのは家庭よりも仕事が大事だからだ」と受け止めたようで、生じた心のすれ違いが埋められなくなりました。

この時期、偶然にも病気が発見されるなど、心身の不調が重なりどん底の時期を過ごしました。しかし、病気治療のために1か月休みを取り、じっくりと休んだところ、休みが終わる頃には体だけでなく心も完全に元気を取り戻していたのです。東京で心機一転、頑張ることとなりました。その当時はとても苦しくつらかったですが、この経験があることで「心身ともに不調」といった同僚や部下の気持ちも理解することができ、いつも突っ走る強いだけの自分からも脱却できたような気もします。

5. 監査法人時代は部下をたくさん持ち、リーダーとして活躍されていらっしゃいました。どのようにチームを引っ張っていらしたか教えてください。

実は、私自身は、ずっと「自分はサポートが得意で、リーダータイプではない」と思っていました。けれど、周囲の方から「リーダーシップがある」と言われることが多かったので、2008年にシニアマネージャーになる頃には自分にはリーダーが向いているのかもしれないと受け止めるようになりました。

私がプロジェクトリーダーとして心がけていたことは、3つあります。

1つは、常にポジティブオーラを出すことです。どれほど大変な状況に陥っても、「これは大変そうだね!ワクワクするね!」といった言葉を笑顔でかけることによって、チームメンバーの気持ちを前向きにし、ひとつにまとめるように心がけました。

2つ目は、最後は自分がすべて責任を取るという覚悟をすることと、それを部下にも伝えることです。失敗をしても上司が責任を取ってくれると分かれば、部下は挑戦することが出来るのです。

3つ目は、部下に仕事の成果をきちんと見せることです。報告会には可能な限り、部下も同席させるようにしました。仕事の集大成を実際に見せることで、自分の仕事がどのような意味を持つのかを理解してもらいました。自分が頑張って出した数字が報告の根拠になる場面や、いい加減な数字が上がっていたことで、重要なシーンで上司が困る様子を実際に見せることで、仕事の全体像を理解することができます。私自身が、新人の頃から仕事の全体像を把握することで仕事の喜びを見出し、行き詰ったときに解決策を導き出してきたので、そのようなことを部下にも理解してもらいたいと思っていました。

6.ライバルと辻さんとの一番の違いは何だとお考えですか?

私は不思議と、仕事に厳しいお客様に好かれるところがありました。厳しいお客様は、専門家の悪いところを教えてくださいます。率直なご意見に耳を傾け、相手の立場に立って仕事の仕方を考えることは常に意識してきました。

キャリアからは男性的な野太い仕事人生を送っているように見られがちな私ですが、実は「求められている役割を完璧に果たそうとする」という点で、受け身で女性的な面もあると感じています。その点も、男性が多い公認会計士業界では特徴の一つなのかもしれません。

あとは、大口で笑う笑顔でしょうか。

7. 2015年に独立して㈱エスプラスを設立されています。独立した理由と現在のお仕事についてお聞かせください。

私たち公認会計士が持っている知識は、社会や企業を良くするために確実に役立つものです。そのような知識を、もう少し「安価で・小回り良く・身近に」お客様に提供したい、と考えて起業しました。

独立してみて感じたことは、お客様との距離の近さ、そしてスピードの速さです。監査法人に所属していた時は、組織としての見解を確認してからでなければ発言できないシーンが多く、信用力は高いものの、お客様とのやり取りに時間がかかりました。その点、独立してからは、全て自分で判断し、その場で考えをお伝えできるので格段にスピードが上がりました。

お客様からのご依頼には幅広く対応しておりますが、現在は内部統制や内部監査、不正関連の業務が多いです。2005年に公認不正検査士の資格を取得し、監査法人のアドバイザリー部門でも不正関連の業務経験を多く積みましたので、その知見を生かしたコンサルティングも行っています。2016年6月 にはACFE JAPAN(日本公認不正検査士協会)理事に就任し、不正関連のお仕事がさらに増えました。

私は、不正は一刻も早く見つけてあげなければならないと考えています。なぜなら、不正は企業に損害を与えるのはもちろんのこと、人を不幸にするからです。青臭い考えかもしれませんが、私は誰にも不幸になって欲しくないと考えています。そのために、不正を暴くというよりは、早い段階で不正が発見される、さらには不正が予防されるような内部統制構築サポートに力を入れています。

また、不正や内部統制関連の執筆・講演のご依頼も数多くいただいております。自分では講演が向いているとは思わなかったのですが、ここでもご要望には応えたいという考えからお引き受けしているうちに、自然と講演のお仕事が増えました。

私の知識や経験を生かすことで、少しでも不正が少なくなること、少しでも管理部門がビジネスをしっかり支えるサポートができるようになることがエスプラスの目標です。

8. 起業される際のご家族の反応や、起業によってプライベート面で変化したことがあれば教えてください。

夫は、やると決めたことについては応援してくれるので、独立も応援してくれました。また、エスプラスの会社名は、娘がつけてくれたものです。「エスは“さちえ”のS、プラスは“いつもお母さんがそこにいるっていう意味”」と説明をしてくれました。まさに私がやりたかったことを言い当ててくれた会社名です。

独立のタイミングは、公認会計士の一般的なケースとは少し異なるかもしれません。プレイングマネージャーとしては少し遅い独立ですし、パートナーになる前に独立したという意味では早いとも言えます。

ただ、プライベートとの両立という意味では、このタイミングで良かったかもしれないと思っています。娘が小学生になる少し前に独立したので、仕事の調整をしやすく、結果的に親子ともスムーズに小学校生活に入って行くことができました。

9. お仕事に向き合う上で、最も大切にされている価値観を教えてください。

「仕事は辛くて楽しいもの」と考えています。仕事とは、プレッシャーがあり、難しく辛いものなのです。けれど、その辛さを乗り越えるところに楽しさがあります。
この考えは、プロジェクトリーダーをする際にもチーム全体に浸透させるようにしていました。チームメンバーにも、「仕事は辛くて楽しいもの」と知って欲しかったからです。そのような私の考えこそがリーダーシップがあると言われる所以であり、部下がついてきてくれた理由なのかもしれません。

10.最後に、メッセージをお願いします。

仕事をしていく上では、辛いこともあると思います。しかし、その中にこそ楽しさがあります。楽しいだけではやりがいのある仕事には出会えないでしょう。個人的には、20代のうちに、仕事「だけ」をやる1年間が必要だと思います。1年間で良いので、「これ以上できない!」というほど仕事に没頭をすることで、仕事に対する考え方が固まり、自分に合うワークスタイルが見つかるものです。

スタッフのうちは、お客様が見えないかもしれませんが、「上司のため」「家族のため」という理由でも良いので、素直に一心不乱に頑張ってみてほしいと思います。その先にはきっと素適な道が開けているはずです。

辻さちえさんのインタビュー、お楽しみいただけましたでしょうか。
今後も、しなやかにプロフェッショナル人生を謳歌する女性公認会計士のインタビュー記事を、月に1回程度アップしていく予定です。
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